■ はじめに|違和感から始める
2025年12月、サッポロホールディングス株式会社は、不動産事業子会社である サッポロ不動産開発株式会社について、PAGおよびKKRが関与するファンドへ段階的に株式を譲渡することを発表した。
開示された企業価値(Enterprise Value)は 4,770億円。 一方で、開示資料に添付された業績情報を見ると、営業利益は限定的であり、純利益は赤字となる期も確認できる。
「利益がほとんど出ていないのに、なぜ4,770億円なのか?」
本稿はこの違和感を起点に、会計利益と不動産価値が乖離する構造を整理し、 “不動産の価値は何で決まるか”を専門家向けに再構成する。
■ 4,770億円は「利益の何倍」ではない
まず押さえるべきは、4,770億円が株式価値(Equity Value)ではなく、 企業価値(EV: Enterprise Value)として開示されている点である。 EVは有利子負債等を含めた「事業そのものの値段」であり、P/E倍率的な「利益×何倍」という枠組みでは説明できない。
不動産事業の評価で問われるのは、「いまの会計利益」ではなく、 将来にわたってどれだけのキャッシュを安定的に生み続けるかである。
■ 会計利益が不動産価値を歪める理由
大規模不動産では、P/Lの利益が資産価値の代理変数として機能しづらい。 典型的には、以下の要因が構造的に利益を圧縮する。
- 多額の減価償却費(会計上の費用だが、当期のキャッシュアウトを伴わない)
- 長期借入による利息負担(資本構成の結果であり、物件の稼ぐ力と切り分けが必要)
- 修繕費・再開発準備費の費用先行(将来の価値創出とトレードオフになり得る)
重要なのは、これらの多くが キャッシュフローと一致しないことである。 会計上は低収益・赤字に見えても、賃料収入が安定していれば、資産価値は毀損していないケースがあり得る。
■ 評価の起点は NOI と Cap Rate
不動産評価の基本式はシンプルである。ファンドがまず見るのは、会計利益ではなく、 物件が生み出す純営業収益(NOI: Net Operating Income)と、要求利回り(Cap Rate)である。
企業価値(概念的) ≒ NOI ÷ Cap Rate
NOIは「不動産そのものが生む稼ぐ力」であり、減価償却や資本構成(利息)とは切り分けて考えるのが一般的だ。 したがって、会計利益が小さいこと自体は、価値が小さいことを意味しない。
■ 低いCap Rateが成立する理由
本件で最も本質的なのは、「なぜ比較的低いCap Rateが許容されるのか」である。 不動産は立地・希少性・下振れ耐性によって利回り水準が大きく変わる。
- 国内最高水準の立地資産(例:恵比寿・銀座等)の組み込み
- 構造的に低い空室率と賃料下落耐性(収益の“壊れにくさ”)
- 再開発・用途転換などのリアルオプション(DCFに乗りにくい上振れ要因)
これらは、単年度の利益では捉えづらいが、長期運用を前提とした投資家にとっては、 将来キャッシュフローの確度を引き上げ、結果として要求利回りを下げる方向に働く。
■ サッポロファクトリーの位置づけ
ポートフォリオ全体の価値形成において、サッポロファクトリーは主役ではない。 しかし、地方中核都市において安定的な来訪者と賃料を確保できる資産は、 下方リスクを吸収する安定装置として機能する。
ファンドの視点では、短期売却益を狙う“トレード対象”というより、 長期保有によりキャッシュフローを平準化する“基礎資産”として整理されることが多い。
■ なぜサッポロHDは売却を選択したのか
本件は「不動産の価値を理解していなかった」からではない。 サッポロHDにとって、不動産は資本を拘束しROICを押し下げやすい一方、 酒類・飲料事業は投資余地と経営資源の集中による伸長可能性がある。
同じ資産であっても、事業会社と不動産ファンドでは 価値の最大化手段(運用・資本構成・投資回収期間)が異なる。 この非対称性が取引を成立させた、と解釈できる。
■ 結論|価値は「利益」ではなく「流れ」で決まる
4,770億円という評価は、会計利益を基準にすれば過大に見える。 しかし、不動産評価の軸であるNOIとCap Rate、そして長期の時間軸で見れば、 「利益が小さいのに高い」という違和感は、評価指標の取り違えから生じていると分かる。
本件は、会計利益では測れない価値が、取引価格として顕在化した好例であり、 不動産・資本戦略・資本市場の接点を考えるうえで示唆に富む。
2025/12/25